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福岡高等裁判所 昭和63年(ネ)3号 判決

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  控訴人

主文と同旨

二  被控訴人

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因(被控訴人)

1  別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)は、もと伊東多三郎(以下「多三郎」という。)所有であった。

2  (主位的所有権取得原因-交換)

日島村は、明治二三年一〇月末ころ、多三郎との間で、同村所有の長崎県南松浦郡若松町日島郷字金堂崎一五四番宅地一一三・〇七平方メートル(以下「一五四番の土地」という。)と多三郎所有の本件土地の各所有権を互いに移転して交換することを約した。

3  日島村は、昭和三一年一〇月一日、被控訴人と合併した。

4  (予備的所有権取得原因-二〇年の時効取得)

(一) 被控訴人は、右合併以来、本件土地を學校用地として使用、占有し、二〇年が経過した。

(二) 被控訴人は、時効により本件土地の所有権を取得したので、本訴においてこれを援用する。

5  多三郎は、昭和五年隠居し、伊東吉助(以下「吉助」という。)が家督相続し、吉助は、昭和二八年一〇月一三日死亡し、子の控訴人が本件土地についての権利義務を承継した。

6  控訴人は、本件土地が控訴人所有に属すると主張して、被控訴人が本件土地を學校用地として使用し、建築工事を施行するのを妨害する。

7  よって、被控訴人は、控訴人に対し、主位的に明治二三年一〇月日不詳交換を、予備的に昭和三一年一〇月一日時効取得を原因とする所有権移転登記手続と、所有権に基づき本件土地の使用妨害の禁止を求める。

二  請求原因に対する認否(控訴人)

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は否認する。一五四番の土地は、多三郎が、大正五年ころ、その父伊東吉三郎(以下「吉三郎」という。)の明治四二年二月一八日付、日島村に対する貸付金一〇〇円の弁済に代えて、同村からその所有権を取得したものである。

3  同3の事実は認める。

4  同4の(一)の事実は認める。

5  同5の事実は認める。

6  同6の事実は認める。

三  抗弁(控訴人)

1  他主占有-請求原因4に対して

被控訴人は、本件土地の占有について所有の意思がなかった。このことは、以下の事情から明らかである。

(一) 本件土地は、多三郎の所有になる以前は平山紋助(以下「紋助」という。)の所有であった。

(二) 本件土地は、紋助所有の時代から、學校用地として日島村に無償で貸与されていた。

(三) 多三郎は、本件土地を大正五年一二月一〇日紋助から買い受けた(同六年二月二六日所有権移転登記)。

(四)(1) 被控訴人は、控訴人に対し、昭和四四年ころまで本件土地の固定資産税を賦課徴収してきた。

(2) 被控訴人は、同五二年の国土調査法に基づく地籍調査に際しては、控訴人に隣地との境界確認の立会いを求めた。

(3) 被控訴人は、控訴人に対し、同五六年九月本件土地の売渡しを求めた。

2  権利濫用-所有権移転登記手続請求に対して

近年に至り、生徒数の減少から、學校用地としての本件土地利用の必要性はなくなっているところ、本件土地を長年無償で使用してきた事情及び時効制度の趣旨に照らせば、被控訴人が今になって所有権を主張して控訴人に対し所有権移転登記手続を請求するのは権利濫用である。

四  抗弁に対する認否(被控訴人)

1  抗弁1の冒頭部分は争う。

(一) 抗弁1(一)は認める。

(二) 同(二)の事実は否認する。日島村は、小學校の合併に伴う明治二四年四月建設予定の新築校舎の敷地用に同二三年一〇月本件土地を含む土地を取得し、學校用地として使用してきた。

(三) 同(三)の事実は否認する。

(四)(1) 同(四)の(1)の事実は認める。但し、その時期は昭和三二年までであり、被控訴人は、同三三年以降、本件土地について固定資産税の非課税措置を講じてきた。なお、被控訴人は、控訴人から本件土地について同税を賦課徴収したのは、本件土地の登記簿及び固定資産課税台帳に控訴人が所有者として登記、登録されていたからであり、本件土地の所有権者が控訴人であることを認めた趣旨ではない。

(2) 同(2)の事実は否認する。仮に、控訴人主張の事実があったにしても、それは、国土調査法上、立会いを求める者は、土地の登記簿上の登記名義人とされているからにほかならず、本件土地の所有権者が控訴人であることを認めた趣旨ではない。

(3) 同(3)の事実は否認する。

2  同2の主張は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1、3、4の(一)、5、6の事実は当事者間に争いがない。

二  本件土地の利用状況の推移について

原審証人清水亮二の証言により被控訴人が保管していることが認められる「明治三十年學校沿革誌日島村第一國民學校」と題する文書(〈証拠〉)には、日島村の小學校に関し、

明治七年一一月、下等日島小學校が創設され、観音堂、篤志家の自宅等で授業を行ってきたこと、

同一三年二月、中等日島小學校と改称したこと、

同一八年一二月、簡易日島小學校と改称したこと、

同二三年九月、尋常日島小學校と改称したこと、

同二四年四月、校舎が新築落成し、同時に漁生浦、有福の両小學校が、日島小學校に合併したこと、

同二六年一〇月、日島尋常小學校と改称したこと、

同三一年四月、漁生浦、有福の両小學校が分立したこと、

大正八年四月、日島尋常小學校に高等科を併置し、同時に日島尋常高等小學校と改称したこと、

昭和六年度に一学級の増加があり、日島郷より寄付された土地の工事が完了し、學校の新築工事に着手したこと、

同七年度も一学級の増加があり、同年九月新築校舎が落成したこと、

以上の記載のあることが認められる。

右文書には、表題部分に「明治三十年」と記載されながら、内容としては昭和八年度までの記載があり、かつ、表題部分に記載された國民學校とは、昭和一六年公布の國民學校令に基づく、同年から同二二年までの日本の小學校の名称であったこと、右文書の作成時期、作成者が具体的に判明しないこと等に照らして、その証拠価値の判断については慎重な態度が要求されるが、その点はさておき、右記載内容に、原本の存在・〈証拠〉を合わせれば、本件土地上には、少なくとも大正五年以前から、日島村の小學校の建物が建築され、使用されてきたこと、その後二回の建て替えを経て、昭和五二年同小學校は余所に移転し、本件土地を含む同小學校の施設は日島中學校の使用するところとなって今日に至っていることが認められる。(なお、原審証人清水亮二は、本件土地上の校舎の建築は、明治二四年に遡る旨供述するが、他に確たる証拠がないので、この点まで認めるのは困難である。)

三  本件土地の公簿上の記載について

〈証拠〉によれば、

1  本件土地の登記簿には、昭和三四年五月二八日近藤数馬のため所有権取得登記が、翌三五年一一月一二日付売買を原因として同月二八日紋助のため所有権取得登記が、大正五年一二月一〇日付売買を原因として翌六年二月二六日多三郎のため所有権取得登記が記載されていること、

2  本件土地の宅地臺帳(〈証拠〉)には、所有者がもと紋助であったが、大正六年二月二八日多三郎に売買を事由に所有権移転登記がされた旨記載されていること、

3  日島村の「大正一三年四月一日改調財産臺帳」と題する文書(〈証拠〉、以下「本件財産臺帳」という。)には、本件土地について、「宅地百五拾坪」、「明治二三年九月一〇日伊東多三郎ト交換ス明治二三年九月一〇日日島學校敷地トナル」と記載されていること、

以上の事実が認められる。

四  一五四番の土地の利用状況の推移について

〈証拠〉によれば、多三郎は、大正五年一二月一〇日紋助から一五四番の土地に隣接する南松浦郡日島村日島郷字金堂崎一五六番の土地(以下「一五六番の土地」という。)及び同地上の建物並びに本件土地を買い受け、同六年ころ同家屋に多三郎の子吉助とヨ子夫婦が転居して居住を開始し、一五四番の土地は同家屋の庭として利用され、今日に至っていることが認められる。

五  一五四番の土地の公簿上の記載について

〈証拠〉によれば、

1  一五四番の土地の登記簿には、明治二三年一〇月二六日付売買を原因として佐々野藤平から尋常日島小學校のため翌二七日所有権取得登記が記載されていること、

2  宅地臺帳(〈証拠〉)には、所有者が尋常日島小學校とされており、その後の所有権変動の記載はないこと、

3  本件財産臺帳には「明治二三年一〇月二七日佐々野藤平ヨリ買受明治二三年九月一〇日日島學校敷地トナル伊東多三郎ト敷地交換ニ付取消ス」と記載されており、一五四番の土地欄全体が朱の斜線で抹消されていること

が認められる。

六  ところで、被控訴人は、本件土地の所有権取得原因について、主位的に、明治二三年一〇月末ころ、日島村所有の一五四番の土地と、多三郎所有の本件土地の各所有権を交換した旨主張するので、以下検討する。

1  被控訴人が、右明治二三年の交換を主張する主たる根拠は、本件財産臺帳上の記載にあると思われるので、同文書につき検討するに、原審における鑑定人松尾猛俊の鑑定の結果によれば、本件財産臺帳は、大正一二年長崎県訓令第一四号「市町村財務取扱規程」に基づき作成されたものと推測されること、同規程は、法律命令等に別段に定めがある場合を除き市町村の財務取扱の基本を示すものであり(第一条)、これには、市町村有の財産は一定の様式に従って財産臺帳に記入し、常にその状態を明確ならしめるべきことと定められ(第三二条)、同年四月一日から施行され、関連の従前の訓令、通牒は廃止されたこと(附則第三七条)、財産臺帳は、學校等の行政財産につき口座を設け見出しを付し、土地の口座の場合、物件の特定、権利の帰属、変動等を記載し、非行政財産となったときは、朱の斜線で全体を抹消することになっていること、長崎県下の市町村では、一斉に、従前の帳簿類の改調作業に着手したのであり、本件財産臺帳も県下共通の所定の様式の用紙を使用して、大正一三年四月一日までに作成されたものと推測され、以後昭和二九年五月ころまで使用されてきたこと、作成者は日島村の職員であったと推測されること、土地については本件財産臺帳の土地の分には三三件の土地が記載され、うち冒頭から順に一六件の土地が同一筆跡で記載され、本件土地及び一五四番の土地は、右一六件の土地に含まれていること、以上の事実が認められる。

2  しかして、同文書には、前記のとおり本件土地につき「明治二三年九月一〇日伊東多三郎ト交換ス明治二三年九月一〇日日島學校敷地トナル」と記載されているのに拘わらず、被控訴人が右記載と異なり、右交換の時期を同年一〇月末ころと主張するのは、本件土地との交換に供された一五四番の土地につき同文書には前記のとおり「明治二三年一〇月二七日佐々野藤平ヨリ買受明治二三年九月一〇日日島學校敷地トナル伊東多三郎ト敷地交換ニ付取消ス」と記載されていることから、日島村が一五四番の土地を取得する以前に、本件土地との交換をすることはあり得ないとの認識に基づいているものと推測される。すなわち、被控訴人も、この限りでは、同文書上の記載が万全のものではないことを自認しているということができる。

また、同文書上、南松浦郡日島村間伏字白岩五〇一番の土地については「明治四三年二月一〇日間伏學校敷地トナル」と記載され、それに対応して地目も「學校敷地」と記載されているが、本件土地については「學校敷地」との記載はなく、したがって、同文書の記載内容は、必ずしも首尾一貫したものでもないことが認められる。

3  しかして、〈証拠〉によれば、明治二年八月二三日生まれの多三郎(控訴人の祖父)は、同二三年一二月二八日ハツと婚姻の届出をし、同四四年三月一三日父吉三郎の隠居により戸主となり、同日家督相続をしたことが認められ、これに、前記認定の事実を合わせれば、被控訴人が交換の時期として主張する明治二三年一〇月ころは、多三郎は未だ二一歳そこそこの青年で、戸主は父吉三郎であったこと、しかも、本件土地の登記簿上の前記記載及び前掲乙第一号証の一によれば、多三郎が本件土地を取得したのは大正五年一二月一〇日と認められるから、明治二三年一〇月に多三郎が本件土地を交換に供したといいうるためには、他人の土地を提供したということになり、特段の事情がない限り考え難いところである。しかも、本件においては右特段の事情を首肯するに足りる証拠はない。

4  その上、〈証拠〉によれば、日島村が交換に供して多三郎の所有に帰したと被控訴人が主張する一五四番の土地について、同村の権利義務を承継した被控訴人が、控訴人に対して昭和三一年から同三九年にかけて固定資産税を賦課徴収し続けてきたことが認められるのである。

5  〈証拠〉によれば、昭和三九年ころから作成されてきた課税台帳〈証拠〉の控訴人所有土地に関する分には、本件土地が登載されているが、後日その課税標準額が消されていること、これにつき、誰が、何時、どのようなわけで消したのか、その理由がはっきりしないこと、昭和四三年度までは、被控訴人は本件土地につき控訴人に対して固定資産税を賦課徴収してきたが、その後、控訴人の申出に基づき、本件土地が學校用地であることを理由に被控訴人も非課税にしたこと(すなわち、被控訴人所有地であることを理由にしたものではない。)が認められる(なお、〈証拠〉には、非課税となったのは昭和三三年以降であると記載されているが、本項冒頭掲記の証拠に照らして採用しない。)。

6  また、前記認定のとおり、本件財産臺帳〈証拠〉には、一五四番の土地についても本件土地と同様「明治二三年九月一〇日日島學校敷地トナル」と記載されているが、原審証人清水亮二の証言によるも、両土地は直線距離にして約三〇〇メートル離れているから、同時期に學校敷地となることは通常考えられないというのである。かかる不可解な記載が何故あるのか、合理的な説明のできる証拠はない。

7  〈証拠〉によれば、本件土地に隣接する一一三番の畑についても、本件財産臺帳には、「明治二三年九月一〇日近藤織衛ト交換ス明治二三年九月一〇日日島學校敷地トナル」と記載されているが、右一一三番の畑は現実に學校敷地として明治年間より使用されてきたことはなく、昭和三七年に至って所有者の山崎章から被控訴人へ日島中學校附属僻地集会室敷地用に売り渡したことが認められる。

8  以上のようにみてくれば、一五四番の土地についても、一一三番の土地についても、本件財産臺帳上の「明治二三年九月一〇日日島學校敷地トナル」との記載は、必ずしも正確でないと認められるのであり、また、本件土地についての「明治二三年九月一〇日伊東多三郎卜交換ス」との記載が、不動産登記簿上の記載と全く符号しないことは前記したとおりである。

その上、〈証拠〉によれば、吉三郎は、日島村に対し、明治四二年二月二八日一〇〇円の貸金債権を有していたことが認められるところ、〈証拠〉によれば、控訴人は、一方で、吉三郎の家督相続人である多三郎が右貸金債権の代物弁済として一五四番の土地を日島村から取得し、他方で、多三郎が公教育に熱心であった関係で、紋助が日島村の學校敷地に無償で貸与中の本件土地を同人から買い受けた後も、そのまま無償で貸与してきた経緯があると吉助(控訴人の父)から伝え聞いてきたことが認められること、本件土地が交換により被控訴人の所有財産に帰したことを示す文書が、本件財産臺帳以外に存在しないというのも不可解であること、以上の諸点を彼此斟酌すれば、日島村が、遅くとも大正五年以前から、學校用地として本件土地を使用して今日に至っているとの事実を考慮しても、本件財産臺帳〈証拠〉の、控訴人所有の本件土地と被控訴人所有の一五四番の土地とを明治二三年九月一〇日交換したとの記載に多くの信頼を置くのは極めて疑問であるといわなければならない。そして他に的確な証拠がない本件においては、被控訴人主張の、同年一〇月末ころ、控訴人の先々代多三郎との間で交換により本件土地の所有権を取得したとの主位的請求原因は採用することはできない。

七  次に、被控訴人は、本件土地の所有権取得原因について、予備的に昭和三一年一〇月一日の時効取得を主張するので、検討する。

1  前記認定のとおり、日島村は、大正五年以前から學校用地として本件土地を使用し、昭和三一年一〇月一日の合併以来被控訴人がこれを承継して今日に至っているのであるから、右合併時点において、被控訴人は、所有の意思をもって、善意、平穏、公然に占有を開始(日島村の占有を承継)したものと法律上推定される。

2  控訴人は、抗弁1において、被控訴人の右占有は、所有の意思を欠く他主占有であると主張するところ、自主占有の推定は、占有者が占有中、真の所有者であれば、通常はとらない態度を示し、もしくは所有者であれば当然とるべき行動に出なかったなど、外形的客観的にみて他人の所有権を排斥して占有する意思を有していなかったものと解される事情が証明されるときは、覆されるというべきである(最高裁昭和五八年三月二四日判決・民集三七巻二号一三一頁参照)。

(一)  前記認定の事実によれば、被控訴人は、本件土地につき昭和四三年度まで固定資産税を賦課徴収してきたのであるから、他に特段の事情が認められない本件においては、被控訴人が日島村を合併した昭和三一年以前も同様に、同村が本件土地に関する同税を賦課徴収していたものと推認される。

(二)  〈証拠〉によれば、被控訴人は、昭和五二年、国土調査法に基づき、本件土地を含む日島地区の地籍調査に着手したこと、その際、被控訴人は、所有者の立会いと白色ペンキを塗った境界杭に氏名、地番等を書き入れて準備するよう指導したので、本件土地及び一五四番の土地の測量の際、いずれも、控訴人の実弟伊東隆司が控訴人代理人として立ち会い、準備した杭を隣接所有者との協議に基づき隣接地との境界に打ち込むなどして、両土地が控訴人所有であることを前提に右調査に協力してきたことが認められる。

(三)  また、〈証拠〉によれば、多三郎ないしその相続人はかねて日島村ないし被控訴人から本件土地について所有権移転登記を求められたことがなかったこと、昭和五〇年代半ばころ以降、日島中學校移転の是非の論議が起こり、同五六年秋被控訴人の教育委員会は控訴人に対し、移転に反対の立場から、老朽化した同中學校の校舎を建て替え、本件土地上には教職員住宅を建てたいこと、ついては、本件土地は既に一五四番の土地と交換されているので、被控訴人への所有権移転登記をするよう要求したこと、これに対し、控訴人は、本件土地は控訴人所有であり、昔から日島村に無償で貸与してきたことの認識を有し、かつ、時代の趨勢から中學校移転に賛成の立場に立っており、無駄な出費への反対と、移転実現の暁には本件土地を控訴人に返還してもらいたいと主張して右建築に反対し、右登記手続には応じられないとの意向を表明したこと、しかし、被控訴人が同六〇年七月本件土地上の古い校舎を解体し始めたので、控訴人はこれに抗議し、その中止を要求したこと、そこで、被控訴人は、控訴人を相手に、長崎地方裁判所に対し本件土地上での校舎の解体、建築工事の妨害禁止等を求める仮処分申請をし、これをいれる同裁判所の同年八月六日付の決定を得て、右工事を続行し、同年九月七日その本案たる本件訴訟を提起したことが認められる。

(四)  控訴人は、昭和五六年九月には、被控訴人が控訴人に対し本件土地の売渡しを求めた旨主張し、原審での本人尋問において、右主張に副う供述をするが、原審証人清水亮二の証言に照らし、採用しない。

(五)  以上の事実によれば、被控訴人は、日島村が本件土地の所有権を明治年間に交換により多三郎から取得し、これを被控訴人において承継したとしながら、公有財産の管理上右事実を対外的にも明確にしておく必要のある日島村ないし被控訴人が、爾来昭和五六年に至るまでの多年の間、被控訴人が占有を開始した昭和三一年一〇月からでさえ約二五年間にわたって、多三郎ないしその相続人に対して所有権移転登記を求めることなく放置して、登記名義人に対する固定資産税の賦課徴収を継続してきたのである。本件土地について昭和四四年度から同税が非課税になったのは、それが學校用地であることを理由とする控訴人の申立に基づくのであって、被控訴人としては、登記名義人たる控訴人が自己に所有権があることを前提として行動していることを認識した筈であり、また昭和五二年公立中學校の敷地である本件土地の地籍調査に当たっても、その登記名義人が私人たる控訴人になっていることを被控訴人としても十分認識した筈であるにも拘わらず、本件土地の所有関係を明確にし、登記名義を是正するため格別の措置を昭和五六年までとらなかったのである。これらの被控訴人の態度は、外形的客観的にみて、被控訴人が自らを本件土地の真の所有者であると認識していれば、当然とるべき行動(登記請求)に出ず、通常はとらない態度を示した(長期間課税)ものというべきである。

もっとも、地方税法上、市町村は、土地登記簿に所有者として登記されている者に固定資産税を課するが(同法三四三条一項、二項前後)、土地所有者として登記されている同法三四八条一項の者(非課税団体)が賦課期日において所有者でなくなっているときは、同日において現に所有している者を同税の納税義務者とすること(同法三四三条二項後段)、公立の學校の校舎やその敷地等、公用に供するものは、所有者が誰であろうと同税を賦課することはできないこと(同条二項)と定められているから、前記認定のとおり、一五四番の土地につき同税を賦課徴収した被控訴人の処分行為は、土地登記簿に所有者として登記されているのは尋常日島小學校であるにも拘わらず、同地を現に所有している者が控訴人であるとの当事者双方の主張に照らして、また、被控訴人が本件土地につき昭和四三年度まで同税を賦課徴収し、同四四年度から本件土地が學校用地であることを理由に非課税とした前記認定の経緯も、同地が不動産登記簿上は控訴人所有名義になっていることからして、いずれも同法の前記規程に則ったものであり、また、国土調査法上、国土調査事業の実施者は、その実施に際して、必要がある場合は、当該調査に係わる土地の所有者その他の利害関係人又はこれらの者の代理人を現地に立ち会わせることができると定められており(同法二五条一項)、右所有者とは、登記簿上の所有名義人又はその代理人と解するのが相当であるから、国土調査事業の実施者たる被控訴人が、本件土地の測量の際に、控訴人代理人伊東隆司を当該土地の立会人とし、同人に境界杭を準備させ、隣接地との境界を確認させたのも同法の規定に則ったものということもできる。そして日島村ないし被控訴人の税務担当職員や地籍調査事務担当職員と公有財産管理事務担当職員が別個でありうることも考慮されなければならないかも知れない。しかしながら、それが内部的な事務分掌の問題に過ぎず、元来公有財産は明確に把握し管理されておくべきこと及び課税措置は厳正的確に行われるべきことを考えると、このことをもって前記結論になんら消長をきたさないものとしなければならない。

他方、控訴人側についてみれば、日島村ないし被控訴人において、本訴提起まで少なくとも七〇年余も學校用地として使用してきた本件土地の使用関係について、控訴人がこれを無償の使用貸借と主張する根拠は、控訴人家に代々伝えられてきたという伝聞証拠しかないし、また、被控訴人が本件土地との交換に供したと主張する一五四番の土地について、代物弁済によって、これを取得したとの控訴人の主張も、必ずしもこれを裏付ける確たる証拠があるわけではないが、前記認定のとおり、本件土地につき、被控訴人から昭和四三年度まで賦課徴収されてきた固定資産税が、同四四年度から非課税になったのも、それが學校用地であるとの控訴人の所有者としての申出に基づくものであり、また、同五六年の被控訴人からの所有権移転登記の要求に対しても、控訴人は所有者としての態度を持してきたのである。

以上によれば、外形的客観的にみて、被控訴人が昭和三一年一〇月一日以後本件土地につき控訴人の所有権を排斥して占有する意思を有していなかったものと解される事情が証明されたといってよいから、控訴人の抗弁1は理由がある。

八  結論

以上によれば、被控訴人主張の本件土地についての所有権取得原因は、いずれも理由がないから、その余の点について判断するまでもなく、被控訴人の本訴請求はいずれも棄却を免れない。

よって、これと異なる原判決は不当であるから、これを取り消し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤安弘 裁判官 簑田孝行 裁判官 谷水央は転補のため署名、捺印することができない。裁判長裁判官 佐藤安弘)

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